ぺんぱっく

村上信五と安田章大がぶつかると気を失いそうになる

映画「噓八百」あらすじと感想 ~「なにわ夢の陣」を経て~

 

「噓八百 なにわ夢の陣」があんまり素敵で面白い映画だった為、どうしても過去作を振り返りたくなって筆を執りました。

3作目を見てから1作目を見るとどう感じるか、そして改めて自分の好きを言語化する為に書いてみると色々と発見がありました。

「噓八百 なにわ夢の陣」を見ようと思っている人、1作目を見ていない人の「見てみようかな」のきっかけになれば幸いです。

 

【あらすじ】

「古美術 獺(かわうそ)」を営んでいる小池則夫は、昔贋物を客に売ってしまって信用を落として店を畳むことになってしまい、今では個人宅の蔵を回りながら掘り出し物がないか探し回る日々である。

野田佐輔は腕利きの陶芸家だが、過去のある一件以来すっかり落ちぶれてしまい、贋物の器を作って小銭稼ぎをしている。

ひょんなことで出会った2人が手を組み、幻の利休の茶碗を仕立て上げ、2人の因縁が絡む大手美術商を騙して一攫千金を狙うお話。

 

ー----------------------

 

則夫は「西に吉あり」というラジオの占いを受けて、偶然町を散策していた所、蔵のある古民家に住む佐輔と出会う。

佐輔の家の蔵を見たところ、そこにはなんと千利休が最期に贈ったとされる幻のお茶碗が見つかる。国宝級のお宝との出会いに舞い上がる則夫は、お茶碗の入った木箱や譲り状を入念に確認するが、確かに本物である。

佐輔には嘘をついて、蔵には貴重なものはないが沢山ある骨董をまとめて100万円で引き取ると伝える。そして、その交渉は成立し、則夫は利休の茶碗を持ち帰る。

しかし、不審に思い再度確認すると、本物であったはずの木箱や茶碗、譲り状が偽物にすり替わっていることに気づく。

佐輔の元を再度訪ねると、居酒屋「土竜」に辿り着く。

そこには佐輔のほかに、筆跡偽造の達人である居酒屋のマスター、木のプロフェッショナルの材木屋、紙のプロフェッショナル表具屋のよっちゃんがいた。

実はこの居酒屋には骨董品偽造のプロが集っていたのだった。

その集団に騙されたことに気づく則夫。

そのことが明らかになり、佐輔は則夫から逃げる。

 

「なんで逃げるんだよ!」

「あんたが追いかけるからや」

このやり取りは、3作目「なにわ夢の陣」にも全く同じセリフが出てくる。トムとジェリーみたい。

 

追いかけるうちに佐輔の実家に辿り着き、なんやかんやで一緒にすき焼きを食べる羽目になる。訳のわからない状況に混乱しつつも、すき焼きを食べて寝てしまう則夫。

その翌朝、いつまで経っても作陶にやる気を出さない佐輔に愛想を尽かして妻靖子が出ていく。

そして、則夫は、娘から幼い頃にアマゾンに生息する、見たら幸せになれるというピンクのイルカを見に行くことを果たされていないことを非難され、もう帰らないと拒絶されてしまう。

3作目に出てくる「ピンクイルカ」の話は、実はここが始まりである

いまりにとって大好きなものであり、夢であり、親子を繋ぐ大切なもの。

 

自分の情けなさが原因で家族が離れていく2人は、互いにどうしてこんな風になってしまったのかぽつりぽつりと語り出す。

 

陶芸界で有名な賞の奨励賞を貰った佐輔は、「樋渡開花堂」という美術商から援助を持ち掛けられ、作陶に励む。

しかし、ある時、自分が作った重要文化財の写しが樋渡開花堂で本物として高値で売られていることを知ってしまう。

自分の作った器が贋物として利用されていたのだった。

そのことを知ってしまったが故に樋渡開花堂に捨てられ、やさぐれてしまい、今日に至る。

 

「悔しかったらやり返せよ!」

「……おおきに。こっちが騙したのに親身になってくれて」

「アホ!!!誰が親身になるか!お前が俺から騙し取った100万円にたっぷり色を付けて返せって言ってるんだ!」

 

則夫は昔、樋渡開花堂で贋物のお茶碗をつかまされた。

それをお客さんに売ってしまい信用はがた落ち、店を畳むことになったのだった。それがきっかけで妻とは別れ、娘とのピンクイルカの約束も果たせなかったという。

その元凶となった茶碗を作った人間こそ佐輔であり、偶然出会った2人はどちらも樋渡開花堂に人生を狂わされていたのだった。

 

「20秒で本物を見抜くためにこの20年を費やしてきた。そんな俺が一瞬でも騙されたんだ。あんた、良い腕してるよ」

 

則夫は佐輔の腕前を買い、佐輔は自分の器が偽物であると見破った目利きを買い、2人は手を組んで因縁の相手である樋渡開花堂に一泡吹かせることを決意する。

 

早速どのような茶碗がいいか熟考し始める2人。

2人は歴史博物館に行き、学芸員の熱く語る利休に関する歴史と知識を仕入れる。

それを基に、既存の写しではなくオリジナルの茶碗を作ることになる。

「歴史のケツを追っかけるんじゃないんだよ、自分で歴史を作るんだよ」

この時の学芸員田中さんの「嬉しいやないですか!」というセリフが1作目から3作目までずっと使われることとなる。この田中は、映画を作成するにあたり歴史公証として携わられた堺市博物館学芸員の矢内さんという実在の方がモデルになっている。その方も実際に田中ほど熱く語る方らしい。ぜひお会いしたい。

 

早速作陶に取り掛かるも、うまくいかず頭を抱える佐輔。

そんな時にふと、100万円で樋渡開花堂で売られていた佐輔の茶碗を買い戻してくれていた若い頃の靖子のことを思い出す。

そういえば、なにわ夢の陣でも「100万円」を佐輔のために使っている。愛が深い…

献身的な妻のことを思い出して、作陶に火が付く佐輔。

この時は土を平面の丸にしたところから立ち上げて筒茶碗の形にする作陶方式が選ばれている。毎回作陶方法が異なるのがこの作品の楽しみの一つである。

 

遂に作陶が完了し、完成したお茶碗で2人でお茶を点てて飲む。

 

「これが『大海原』や」

 

3作目でも完成したお茶碗で抹茶を点てて飲むシーンがあるが、あれは儀式的なものでありつつ、ただ飲んでるだけではなく手の収まりの良さや口当たりの良さ、また「今まで何度もこのお茶碗でお茶が飲まれた形跡という名の歴史」を刻む行為でもある。

 

そして2人は決戦の場へ堂々と歩いて行くのであった。

(ここからの展開はぜひ映画をご覧ください!)

 

 

【感想】

こうやって見ると、1作目と3作目に共通点が非常に多いように思う。

2作目は織部の「はたかけ」というベースとなるお茶碗があったが、1と3作は写しではなく佐輔の創作の器を作る。そのために歴史を紐解き、その茶碗を創る人や欲しい人の想いに寄り添い、最終的には佐輔の表現として器に昇華させる。

1作目では自身の過去と向き合うため、3作目では過去は関係なく今の自分を超えていくために作陶する。

陶芸家としての佐輔は回を重ねるごとに成長していくのもこの映画の魅力のひとつである。

 

「西に吉あり」、その占いの言葉に導かれて則夫は佐輔に出会い、2人は不思議な縁と因縁に導かれて出逢い、見事一攫千金を果たす。

3作目で突然出てきた「波動」という単語は、かなりスピリチュアルな要素を含む単語でいきなりなんだ!?というように思えるが、ラジオの占いを験担ぎにしている則夫や2作目で占いを始めているいまりというように、この映画において波動や占い、そういった目に見えないスピリチュアルな部分は最初から大切にされている部分である。

目に見えないものを大切にしているというよりかは、それらを信じている人たちを肯定している。

だから「波動」というワードは、実はそう唐突でもないのである。

1作目からちゃんと占いや夢、ロマンといったものを大切にしている映画なのである。

佐輔のセリフに「人は見たいもんを見てまうんや」とあるように、そもそも古美術や骨董がそういったものと切っても切れない関係にあるのだけれど。

そういった意味では、3作目はある意味で原点回帰とも言えるのかもしれない。


あと則夫、佐輔のこと大好きすぎじゃない???????????

佐輔と佐輔の茶碗作りの腕、愛しすぎじゃない?????????

正直、自分の商売がダメになって家族がバラバラになった原因の男に出会った時、普通はもっと憎しみを含んだ感情があってもいいと思うんですよ。

だから佐輔が騙されて作っていた事実があったとしても、貶したり怒ったりしていいはず。

でも、則夫は佐輔には牙を向けない。元凶が明確に分かっていて、佐輔もその苦しみを背負っている1人だということが分かったから。

そして、何よりその作者に憎しみの感情と共に、その腕を認めている感情がある。

 

「作ったやつの腕と顔が見たいとずっと思ってた」

「わりかしええ男やったやろ」

 

そうおどける佐輔に則夫はフッと笑う。

しかも、別のシーンでは冒頭に佐輔からなんでもない茶碗だと騙し取った利休の茶碗(結局佐輔が作った贋物ではあるのだけれど)を大事に持ってることが判明する。

 

「その茶碗…よそへ売り飛ばしたんとちゃうん」

「箱だけ売った。これでカフェオレ飲むって言ったろ」

「……俺も(コーヒー)飲もかな」

 

この時点で夫婦すぎるんよ。

1作目の時点で、佐輔宅に上がり込んだ則夫は妻の靖子の羽織を着てるんだけど、なんで人の奥さんの服着ちゃうんだ。

3作目でもちゃっかり着ている。なんでだ。嫁か。

確かに、靖子と則夫のセットで毎回佐輔の作陶へのハッパかけ要因ではあるんだけど。

つまり、靖子の羽織を着た則夫は佐輔覚醒のための完全体ということだろうか?

…いや、どういうことだ。やっぱりわからん。

 

とまぁ、陶芸家としての野田佐輔とその作品たちにぞっこんな則夫の一方で、佐輔は自分に騙されたせこい詐欺師だと思っていて、最初は完全に心の扉を閉ざしていた。

けれども、関わっていくうちに自分と作品にきちんと向き合って、嬉しい言葉をくれる則夫に次第に心を開いていく。完全に信用したわけでも、ベストフレンドになったわけでもないけれど、自身の作陶の意欲を掻き立ててくれたり、長年引きずっていた「贋物作家」としての自身の嬉しくない部分を見ることなく、作る作品を「野田佐輔」として見てくれることに感謝している。

 

2作目3作目と続いてくると、則夫と関わるとロクなことがないからできれば関わりを避けたいけど、自分の殻を割るチャンスには毎回なるので、なんやかんや儲け話を聞いてしまうし、自身の作陶のヒントややる気をくれる則夫のことをなんだかんだ憎からず思っている、という風に気持ちが変わっていく。

3作目では、夢を見て思いついた「鳳凰」を則夫に朝イチで話に来ちゃうし。

思いついて、こうだ!と自身で決めたのなら勝手に作ればいいのに、歴史公証をしてほしかったのか、自身の進路の確認だったのか、とにかく則夫に伝えたかった。

自分が「鳳凰」を焼けるということを証明したかった。何それめっちゃ可愛い。

 

1作の最後で則夫が佐輔に語る「あんたの茶碗を売るんだよ。良い面構えしてるじゃないか。400年経たなくったっていい面だ。」というセリフがとても好きだ。

贋物作りの冴えない茶碗焼きから、「あんたの茶碗を売るんだよ」と言われることで、佐輔は過去を清算し、冴えない茶碗焼きから一歩脱却&前進できたのだ。

そして、則夫はおそらく人生最大の失敗の清算ができ、ずっと会いたいと思っていた茶碗焼きに出会って、改めてその人間と作品に惚れこむ。

2人ともそれぞれ古美術商や陶芸家として成長しつつも、また騙そうやという根本が変わっていない所もまた憎めない所である。

 

シリーズを通しての、則夫→→→BIG LOVE→→→→佐輔の構図がたまらない。

3作目でも佐輔にとったら則夫はまだまだ歴史公証とプラスアルファの気持ちくらいだけだが、1作目の時点で則夫は既に佐輔BIG LOVEなのである。

その温度差がこのコンビの魅力的なバランスを生み出していると言えるだろう。

 

まさか、ここから続編が生まれるとは思ってなかったけれど、バディものの映画として贔屓目なしに単体の映画としてとても好きな作品である。

古美術を利用したコンゲームと、則夫佐輔のコンビ愛と、勧善懲悪の爽快感がこの映画の最大の魅力である。

 

 

長文乱文になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

次は「嘘八百 京町ロワイヤル」を書くぞー!!