こんにちは。ぺんぱっくです。
金木犀の香る季節が一番好きな私ですが、すっかり黄色が零れ落ちてしまい、厳しい冷え込みに体を慣らす毎日ですね。皆様風邪など召されてませんでしょうか?
冷えに弱い私は、関ジャニさんの曲を栄養源に踏ん張る毎日です。
さて、今晩はおととい見たヤスくんゲスト出演の「フラジャイル」5話の感想を書こうと思います。(盛大にネタバレするので、まだ見てない!という人は回れ右です!)
簡潔に言おう。
思い出すだけで嗚咽が漏れまくる。
しんどい。
たぶんもう一回見れない気がする。
さぁ、どこがしんどかったか列挙しよう!
1.ヤスくん演じる小早川くんが、無理して笑顔を作る感じが本人にダブる。
2. 小早川くんの最期
3. 小早川先生を慕う子どもの名前が「しょうた」←
1はもう言わずもがなだと思います。最初から、幼稚園のシーンから相当痛ましい。
笑っているのに、小早川さんのどこかは常に死んでいるというか諦めていて気持ちが枯れているというか。ここらへんの心情表現は、やはりあっぱれ安田様でした。
だからこそ、「今、君は生きている」の溢れる思い。
ニコニコ笑顔がトレードマークのようなヤスくんだからこそ、余計この役がファンには辛かったのではないでしょうか。
てか、普段からそういうことあったりたまにあるんじゃない!?大丈夫!?って言いたくなります。大丈夫だと思うけれど。(お節介マン)
そして、2。
もうね。。。。。。。。このドラマもう一回見れないよって理由はここじゃないかと。
あれだけ悶着あって、泣いて思いが溢れて、生きたくて。
友達ができて、曲が完成して。それでも病気には勝てない部分があって。
って、こんだけあってあのEND。もういっそ私を殺してくれ(?)
何よりつらいのが、「あっけない」「自分のためではない」
病気じゃなくて、それで死ぬの!?ってのが辛いうえに、幼稚園の先生は「自分の夢」ではなかったんですよ。小早川さんがきっと色々考えて、自分のやりたいことの延長として選んだ道の一つではあるんだと思うんだけれど。
それでも。自分がやりたかった一番のことではないけど。
自分を納得させて、選んだ道で、みつけた大切なもの。
それを守るために、彼は死んでしまった。
おかんなにやっとんねん!!!!!!!!!!!!!!!!(大地に拳を叩き付ける)
ふぅ。。。。。。。。。。(こころがしんどくなりすぎて休憩)
ー10分後ー
はい。3に行きます。ヴッ・・・・(まだ立ち直れない)
さて、ここからが私の本番なのですが、このドラマの一番しんどかったなと思う点、それがここです。
「命をかけて救った男の子の名前が『しょうた』である」
かつて、こんなにしんどい案件があっただろうか。
役名がその俳優と親しい人の苗字だったり、そのままの苗字だったりすることはあれど、自分の死ぬ要因になる子供の名前が「しょうた」って……(思考がおかしいオタクなので放置いただけると幸いです←)
……あの、今から思ってもいないことを書きますね。「思いついただけで、心にも思ってないことを」書きますね!!!
↓
何かといいますと、
小早川さん=ヤスくんの本音であり正直な部分
しょうたくん=世間における「安田章大」としての偶像
なんじゃないのかなと。
ドラマ(芸能界)という虚構の中では、どれだけ足掻いて気持ちを変えようとしたとしても、結局は世間の偶像の中で生きるしかなく、小早川は死しかないのかもしれない。それは、強制されるものではなく、落ちる子供を見て助けない人はいないのと同じで、無意識にかばうしかないものなのかもしれない。
それを望んでいようとそうでなかろうと。
.………………嘘です。
うっそでーーーーーす!(必死)
お目汚し失礼しました。
そんなことも考えられるよねって思っただけで。
本当にそうだとは思ってません。
でないと、一生懸命毎日仕事をこなしてるヤスくんに失礼ですね。
やっぱり芸能界って特殊な世界ではあると思うけれど、そこでどんどん新しいことに挑戦して、いろんな世界を見せてくれる彼は、色々飲み込んで納得して抵抗して、それで今のヤス君なのだと思うので。
……ちょいと待ちなはれ。
めっちゃ私脱線したね?失礼しました。
ということで、以上、「私の心がフラジャイル」の感想を終わります←
しばらくは、思い出すだけで過呼吸をおこす生活ができそうです。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
昨日のペコジャニ可愛かったですね。
今晩のありえへんも楽しみです。